はじめに
こごみ(クサソテツ)は、日本に古くから自生するシダ植物の一種で、山菜として食されてきた歴史は非常に長いものです。
明確な記録は残っていないものの、日本の山菜文化の流れを考慮するとその歴史は縄文時代(紀元前1万年頃~)まで遡る可能性があります。
縄文時代:採集生活の恵み
縄文時代の人々は農耕ではなく、狩猟採集を主体とした生活を送っていました。
その中で、山や森に自生するこごみの新芽を発見し「食べられるのではないか」と試したのが始まりだと考えられます。
遺跡からはシダ類の直接的な痕跡は見つかっていませんが、ワラビやゼンマイといった類似の山菜を食していた証拠があるため、こごみも同様に採取されていた可能性が高いです。
特に春先に芽吹くこごみは、冬の厳しい時期を乗り越えた人々にとって、貴重な栄養源となったことでしょう。
弥生時代~古代:食文化の脇役として
弥生時代(紀元前300年頃~)に稲作が広まり人々の主食は米へと移行しました。
しかし、山菜を食べる習慣は引き続き残り、特に山間部や東北、北海道などの寒冷地ではこごみが身近な食材として重宝されました。
奈良時代の『万葉集』(8世紀)には「春菜」という言葉が登場し、これがこごみを含む山菜全般を指していた可能性が高いと考えられています。
貴族の間でも山菜は季節の味覚として楽しまれていたのかもしれません。
中世~江戸時代:庶民の春の味覚
中世に入ると、こごみは貴族層よりも庶民の暮らしに深く根付いていきます。
江戸時代(17~19世紀)には、春になると山菜採りが盛んに行われ、こごみもその代表的な存在でした。
特に東北や信州などの山村では、家族や村人総出で山に入り、こごみの新芽を摘んでいたと言われています。
また、保存食としても活用され、茹でて干したり塩漬けにするなど、冬まで保存するための知恵が生まれました。
この頃の文献には「こごみ」の名が散見され「苦味があり、身体に良い」と認識されていたようです。
近代:伝統からレジャーへ
明治時代以降、農業の近代化により野菜が手に入りやすくなったことで、山菜の重要性はやや薄れました。
しかし、こごみは「春の味覚」としての地位を保ち続け、特に山岳地域では郷土料理の食材として親しまれました。
昭和時代に入ると山菜採りがレジャーの一環として楽しまれるようになり、こごみを採取してその場で調理するといったイベントも増えました。
現在でも東北地方などでは山菜フェスティバルが開催され、こごみは主役級の扱いを受けています。
現代:自然回帰と健康志向
現代では、こごみはスーパーマーケットでも販売されるほど身近な食材となりました。
しかし、その価値は単なる食材にとどまらず「自然の恵み」や「昔ながらの味」として再評価されています。
こごみのおひたしや天ぷらが人気を集めるのはその栄養価や薬効が科学的に証明されてきたことも一因でしょう。
縄文時代から続く「春にこごみを食べる」という習慣が健康志向の現代人のライフスタイルにも合致しているのです。
こごみの歴史的役割
こごみの歴史を振り返るとそれは単なる食材ではなく、四季の移り変わりを教えてくれる存在であり、飢えや病気を防ぐ貴重な栄養源でもありました。
縄文時代の採集民から江戸時代の農民、そして現代の私たちに至るまでこごみは日本の自然と共存してきた証と言えるでしょう。
特に東北や北海道では、こごみは「春の訪れ」を象徴する食材として今もなお多くの人々に親しまれています。
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